平成27年に厚生労働省が行った「転職者についての実態調査」において、社労士である筆者は、以下の2つに注目しました。
1つ目は、「直前の勤め先の通算勤務期間」です。
調査結果によると、通算勤務期間が2年以上5年未満での転職者が27.1%と最多、5年以上10年未満が18.6%、10年以上が18.0%と続きました*1。
よく「社会人の節目」として耳にする言葉で、「三日・三月・三年(みっかみつきさんねん)」があります。
元来、芸事や修行の心構えについての教訓を指しますが、転職の指標としても使われます。
そして多くの転職者が、この教訓を最低限守ってからの転職を実行していることが、調査結果からうかがえます。
なにごとも「3年続けてこそ、過去を振り返ることも、未来を設計することもできる」というものです。
そして、この期間に身につけた能力や技術、ノウハウは転職者にとって大きな財産となります。
転職先企業からしても、過去の在職期間は採用基準として重要視します。
短期間での入退社を繰り返している場合、人物像の判断材料としてはあまり良い印象を抱かないでしょう。
2つ目の注目すべき調査結果は、「現在の勤め先を選んだ理由」です。
転職の際に、現在(転職後)の勤務先を選んだ理由をみると、
「仕事の内容・職種に満足がいくから」40.8%
「自分の技能・能力が活かせるから」37.5%
「労働条件(賃金以外)がよいから」24.9%
という回答でした*2。
転職を検討する際、「今より賃金がよい」という条件が上位に来ると思いがちですが、実際は、勤務先へのエンゲージメントの部分が決め手となっていることが分かります。
この二つの調査結果から見えてくる転職先として、「同業他社への転職」という選択肢が考えられます。
ある程度の職務年数を経て、さらに技術や能力を活かせる(伸ばせる)職場で働きたい、と考えるのは自然なことだからです。
それでは、同業他社への転職の際に気を付けることはあるのでしょうか。
一般的にトラブルとなることは少ないのですが、なかには損害賠償を求められる事件に発展するケースもあります。
いくつかの事例と裁判例を基に、同業他社への転職の注意点を確認してみましょう。
1.同業他社への転職を妨げる規則とは
日本国憲法第22条第1項で、
「何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する」
と規定され、これにより私たちは、職業選択の自由が保障されています。
しかし、企業側にも守るべき情報やノウハウ、営業秘密といった「利益」があります。
とくに同業他社への転職を希望する場合、企業側は利益を守るため、退職者に対して「競業避止義務」を課すことがあります。
この競業避止義務に関して、筆者(社労士)の顧問先での事例を紹介します。
不動産業を営むA社で働くXは、営業成績の良いトップセールスマンです。
そのXが突如退社することとなり、社内は騒然となりました。
さらに、次の就職先がライバル企業のB社であることを知り、A社の社長は憤慨しました。
社長はXに、
「就業規則に記載してあるとおり、競業避止義務違反となるためB社への転職は禁止する」
と伝えました。
この一件を知った筆者は、社長と面会し事情を聞きました。
Xは真面目で誠実な従業員です。
そのため、営業先からの評判も良く、Xの人柄で契約につながった物件は多数あります。
一介の従業員であるXは、高額なインセンティブや手当もなく、顧客や営業に関する機密情報を扱うこともなく、Xの人柄と不動産に関する知識のみで営業実績を積み上げてきました。
果たしてこのXに対して、「就業規則に規定している」という理由だけで、B社への転職を禁止するこができるのでしょうか。
競業避止義務契約の有効性が否定された例として、次の裁判例が参考になります。
「(中略)ここでいうノウハウとは、不正競争防止法上の営業秘密に限らず、原告が被告業務を遂行する過程において得た人脈、交渉術、業務上の視点、手法等であるとされているところ、これらは、原告がその能力と努力によって獲得したものであり、一般的に、労働者が転職する場合には、多かれ少なかれ転職先でも使用されるノウハウであって、かかる程度のノウハウの流出を禁止しようとすることは、正当な目的であるとはいえない。」
「顧客情報の流出防止を、競合他社への転職自体を禁止することで達成しようとすることは、目的に対して、手段が過大である」(東京地判 H24.1.13、東京高判 H24.6.13)
このように、競業避止義務を定める合意が合理性を欠き、労働者の職業選択の自由を不当に害すると判断される場合、その合意は公序良俗に反し無効となります。
つまり、就業規則や個別の誓約書に規定する競業避止条項のみをもって、転職を禁止したり退職金を支払わなかったりすることはできません。
この裁判例を元に、Xの転職の禁止について協議しました。
そもそも競業避止義務を定める目的は、企業側の守るべき利益を保全するためです。
そして、必要最低限の制約を従業員に課すものであれば、競業避止義務契約の有効性自体は認められるとされています。
今回の顧問先の対応は、諸々を考慮しても厳しすぎるのではないか、という意見に社長も理解を示してくれました。
そして、「退職は残念だがXを温かく送り出す」という結論に至りました。
転職を考える際は、勤務先の就業規則や、個別で誓約書に合意をしたかどうかなど、競業避止義務に関する規定の有無を確認しておきましょう。
2.競業避止義務契約が有効と認められた裁判例
では、どのような場合に「競業避止義務契約が有効」とされるのでしょうか。
少し古い事案ですが、現在でもベンチマークとされる判例では次のように示しています。
「債権者の利益、債務者の不利益及び社会的利害に立って、制限期間、場所的職種的範囲、代償の有無を検討し、合理的範囲において有効」(奈良地判S45.10.23)
具体的には、
①守るべき企業の利益があるかどうか
②従業員の地位
③地域的な限定があるか
④競業避止義務の存続期間
⑤禁止される競業行為の範囲
⑥代替措置が講じられているか
以上の6項目が、競業避止義務契約の有効性を判断するポイントとなります*3
競業避止義務契約の有効性が認められたものとして、
「ヴォイストレーニングを行うための指導方法・指導内容及び集客方法・生徒管理体制についてのノウハウ」は、原告の代表者によって「長期間にわたって確立されたもので独自かつ有用性が高い」(東京地判 H.22.10.27)
とし、原告のノウハウを保護するため、競業行為に当たる営業行為を差し止める判決を下した裁判例があります。
事件の内容は、ヴォイストレーニング教室にてパートタイムで働いていたXが、退職後すぐに、自らヴォイストレーニング教室を開校したため、退職時に合意した誓約書の内容に違反するというものです。
誓約書には、秘密保持と競業避止義務について次の記載がありました。
・ヴォイストレーニングの指導方法及び指導内容(独自のノウハウ)等の秘密情報の保持
・退職後3年間の競業避止義務を課す
これらについて裁判所は、
「本件競業避止合意は目的が正当であり、その手段も合理性があるから、公序良俗に反しない」
とし、Xに対して、競業避止期間である3年が経過するまでの間、営業行為の禁止を言い渡しました。
3.同業他社への転職活動、その前に
同業他社への転職を考える場合、まずは現在の勤務先での「競業避止義務に関する規定」について確認しましょう。
とくに、技術的な職種や顧客管理、営業秘密を扱う業務に従事している場合は注意が必要です。
仮に、競業避止義務についての規定がなかったとしても、公序良俗に反する行為は無効となります。
当然のことですが、社会人としてコンプライアンスを意識し、モラルに従って行動する必要があります。
しかしながら、「職業選択の自由」は転職者にとって大きな権利となります。
必要以上の競業避止義務を課せられるような場合は、勤務先と十分に話し合い、退職後にトラブルとならないように心がけましょう。